【この記事の要約】
人生には、自分の力だけでは説明できない出来事があります。
私にとって、それは「ご縁」でした。
妻との出会い。
宮崎との出会い。
新しい仕事との出会い。
そして新しい家族との出会い。
振り返れば、偶然だと思っていた出来事が、すべて今の私につながっています。
このブログでは、60代からの働き方や地方移住、再就職、人生の挑戦について、私自身の実体験だけをお届けしています。
まずは、このブログが始まるまでの物語を聞いていただけたら嬉しいです。
このブログを書く前に、お話ししておきたいことがあります
このブログでは、60代からの働き方や地方移住、再就職について発信しています。
しかし、その話をする前に、一つだけお話ししておきたいことがあります。
なぜ私は宮崎へ移住したのか。
そして、
なぜこのブログを書くようになったのか。
その始まりは、一人の女性との出会いでした。
転職を6回。遠回りばかりの人生でした
私はこれまでに6回の転職を経験しました。
振り返ると、本当にさまざまな仕事をしてきました。
- サラリーマンとして営業職を25年以上経験
- 酒屋を約12年間経営
- 日本酒メーカーで酒造り
- 配置薬(置き薬)の営業
一見すると統一感のない経歴ですが、今ではそのすべてが私の財産になっています。
特に酒類業界では、卸売・小売・製造のすべてを経験しました。
「その三つを経験している人は珍しいですね。」
そう言われることも少なくありませんでした。
また、配置薬営業では大阪府、鳥取県、兵庫県、福井県、新潟県、愛知県、茨城県など、長期出張をしながら多くのお客様と出会いました。
おそらく一般的な配置薬営業の方より、何倍ものお客様とお話しする機会をいただいたと思います。
その経験の中で漢方の考え方を学び、「医食同源」という言葉の意味を深く知ることができました。
当時はただ夢中で働いていただけでしたが、今振り返ると、すべての経験が少しずつつながり、現在の自分を支えてくれているように感じます。
人生最大の「ご縁」は妻との出会いでした
私が酒蔵で働いていた頃。
移住する約1年前に、今の妻と出会いました。
このブログでは、これから何度も「ご縁」という言葉が登場します。
その始まりであり、私にとって最も大きなご縁が、妻との出会いでした。
妻はキャリアウーマンとして、多くの人に喜んでもらえる仕事をしていました。
一方の私は、酒蔵で半年間一日も休みがない働き方に疑問を感じ始めていました。
妻もまた、愛犬を亡くした悲しみから立ち直ろうと、懸命に仕事へ復帰しようとしていた時期でした。
そんな二人が偶然出会い、将来のことを語り合うようになりました。
「宮崎に行ってみたい」
ある日、妻がぽつりと言いました。
「宮崎に行ってみたい。」
私は驚きました。
妻は宮崎へ行ったこともありません。
それなのに、どうしてそんなことを言うのだろう。
そう思いながら、
「じゃあ、一度行ってみようか。」
そんな軽い気持ちで宮崎旅行を計画しました。
宮崎空港へ降り立ち、レンタカーを借りて県内を北から南まで走り回りました。
どこへ行っても空が広く、時間がゆっくり流れているように感じます。
そして何より食べ物がおいしい。
鶏の炭火焼き。
チキン南蛮。
焼肉。
ちゃんぽん。
食事をするたびに、
「宮崎って、本当においしいね。」
そんな会話ばかりしていました。
ところが、ある場所へ着いた瞬間。
妻が車の窓の外を見つめながら静かに言いました。
「私、ここに住む。」
その一言で、私たち二人の人生は大きく動き始めました。
不思議なことに、今、私たちはその場所で暮らしています。
振り返ると、あの一言が人生の分岐点だったのだと思います。
妻の夢が、私の夢になりました
「本当に移住するの?」
そう思われる方もいるでしょう。
もちろん簡単な話ではありません。
でも私は、妻の言葉を否定しようとは思いませんでした。
私は妻のことを心から尊敬していました。
だから、
「反対するかどうか」
ではなく、
「どうすれば、この人を幸せにできるだろう。」
そのことしか考えていませんでした。
今思えば、あの時から私自身の夢も、少しずつ変わり始めていたのかもしれません。
宮崎へ移住するという夢は、いつしか妻だけの夢ではなく、私自身の夢にもなっていました。

移住を決めても、現実はそう甘くありませんでした
「宮崎へ移住しよう。」
そう決めたからといって、すぐに実現できるものではありません。
仕事を探さなければならない。
住む家も見つけなければならない。
それまで大阪で暮らしていた私たちは、一つひとつ準備を進めていきました。
私は大阪のハローワークへ通い、宮崎県内の求人を探しました。
そして面接を受けるために、そのたびに宮崎まで何度も足を運びました。
その時、とても助かった制度があります。
ハローワークの「広域求職活動費」
遠方で就職活動をする人を支援する制度で、一定の条件を満たせば交通費が支給されます。
主な条件
- 雇用保険に加入していること
- ハローワーク紹介の求人であること
- 面接先までの往復距離が200km以上であること
- 1年以上の雇用見込みがあること
移住を考えて就職活動をされる方は、一度ハローワークへ相談してみることをおすすめします。
実は、この制度には少し面白い思い出があります。
私はLCCを利用して宮崎まで往復していたのですが、LCCは時期によって運賃が大きく変わります。
職員さんも計算に困られたようで、最終的には鉄道の通常運賃を基準に交通費を計算してくださいました。
その結果、実際に支払った交通費よりも多く支給されたのです。
「こんなこともあるんだ。」
思わず、神様が少しだけ背中を押してくれたような気持ちになりました。(笑)
これから移住を考える方へ伝えたいこと
私は実際に地方へ移住したからこそ、お伝えしたいことがあります。
もし今の私が移住を考えるなら、一番理想なのはオンラインで仕事を持ったまま地方へ移ることです。
次におすすめなのが、転勤という形で地方へ行くことです。
地方でゼロから仕事を探すことは、想像以上に大変です。
都会と比べると求人は少なく、給与水準も低くなる傾向があります。
もちろん地域によって違いはありますが、「都会と同じ感覚」で移住すると戸惑うことも少なくありません。
だからこそ、移住を考えている方には、仕事や収入について十分に調べたうえで決断していただきたいと思います。
私自身、遠回りをしたからこそ、そう感じています。

一番苦労したのは「家探し」でした
仕事以上に苦労したのが住まい探しでした。
せっかく地方へ移住するなら、アパートではなく一軒家で暮らしたい。
そんな思いがありました。
年齢を考えると家を購入するより、賃貸の方が将来の負担も少ないと考えていました。
さらに妻には、
「いつかまた犬と暮らしたい。」
という願いがありました。
しかし、現実は想像以上に厳しいものでした。
条件に合う一軒家は一軒も見つかりません。
空き家はある。でも住める家はありませんでした
地方には空き家がたくさんあります。
ところが、その多くは家財道具がそのまま残され、貸し出せる状態ではありませんでした。
「空き家はあるのに、住める家がない。」
これは実際に移住を経験して初めて知った現実でした。
空き家バンクも何度も調べました。
しかし、私たちの条件に合う物件は見つかりません。
まして犬と暮らせる賃貸となると、さらに難しくなります。
正直なところ、
「本当に移住できるのだろうか。」
そんな不安を感じていました。
それでも、ご縁は待っていてくれました
そんなある日。
地元の不動産会社から一本の連絡が入りました。
「一軒だけ紹介できる家があります。」
大家さんはブリーダーをされている方でした。
犬への理解も深く、
「犬を飼っても大丈夫ですよ。」
と言ってくださいました。
私たちには、その家しかありませんでした。
でも今思えば、
「あの家だったから良かった。」
そう思っています。
こうして私たちの宮崎での暮らしが始まりました。
Mammyとの運命の出会い
引っ越して間もない頃。
ご挨拶のため大家さんのお宅を訪ねました。
すると、そこには生まれたばかりのミニチュアシュナウザーの赤ちゃんがいました。
しかも女の子です。
妻が以前、一緒に暮らしていた愛犬もミニチュアシュナウザーの女の子でした。
その瞬間、妻は目を輝かせながら言いました。
「この子は、ご縁でここにいる。」
「この子を家族にしたい。」
こうして宮崎へ来てわずか一週間。
私たち家族は三人になりました。
この子が、ブログにもたびたび登場する**Mammy(マミィー)**です。
今でも私たち家族の大切な存在です。

人生は「ご縁」でできている
振り返ると、私の人生は自分一人の力だけで歩んできたものではありませんでした。
妻との出会い。
宮崎との出会い。
新しい仕事との出会い。
Mammyとの出会い。
その一つひとつのご縁が重なり、今の私があります。
だから私は、このブログでも実体験だけを書くことに決めました。
うまくいったことも。
失敗したことも。
迷ったことも。
すべて包み隠さずお伝えしていきたいと思っています。
60代になった今でも、新しい挑戦はできます。
人生は、何歳からでも変えられます。
このブログが、同じように人生の転機に立っている誰かの背中を、そっと押せる存在になれば、これほど嬉しいことはありません。
そして、このブログを通して、また新しい「ご縁」が生まれることを楽しみにしています。
これからどうぞよろしくお願いいたします。

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